眼鏡紳士の非日常。

日常に潜む非日常を淡々と。

皆様はじめまして。

『肉じゃが』を往年のロックスター風に『ニック=ジャガー』と呼んで妻に嘲笑を受けた男、眼鏡紳士でございます。

何年か前の話。
 友人と遊んだ帰り道。
町中から一人徒歩にて家路を急いでいた。
バスの路線に沿って歩き、時間が合えばバスに乗ってやろうと考えていた。
バスが来ていないか、後ろを気にしながら歩く。
すると、好機なり。
目当てのバスが後ろから迫ってきていた。
運転手と目が合う。
その瞬間に分かった。
運転手も私もお互い分かっていた。
私は   (俺は)
このバスに(この客を)
乗ってやる(乗せるものか)
次のバス停までおよそ300m。
どちらが先に着くか、こいつぁまったくクールな勝負だ。
無論、負ける気はない。
私は、大きく一つ息を吸うと、全身の筋肉を躍動させ、一気に加速した。
街路樹。
店。
人。
全てが物凄いスピードで横を通り過ぎていく。
バスに目をやる。
さすがガソリンで走る機械だ。
先ほど遥か後方にいたはずが、もう既に私に並ばんとしている。
フロントガラス越しに運転手がほくそ笑んでいるのが見える。
「所詮は人力よ。機械にかなう訳がなかろう?お前を乗せてなるものかよ!」
勝利を確信した運転手の笑み。
それを裏付けるかのように、バスは一瞬で私に並びかけ、次の一瞬であっさりと抜き去っていった。
しかし、私は動じなかった。
一見して絶望的なこの状況でも、十分逆転できる機があったのだ。
そして私は、それが間もなく訪れることも知っていた。
速度の違いが、目的地への到着時間の決定的差ではない事を。
教えてやる!
時を置かずして、その時は訪れた。
バスは見る間に減速していき、遂にはその活動を完全に停止した。
そう。
信号である。
運転手の苦虫を噛み潰したような表情が一瞬目に入ったが、敢えてそれに構う事はしなかった。
この間に一気に差をつけさせてもらう。
私は体を沈めて一気にトップスピードまで加速しながら横断歩道へと進入した!
 
そしたら、ひかれた。
「おおおお〜!!」って叫びながら突っ込んできた自転車にひかれた。
自転車の存在を視認すれど対処するに至らず、真横からイカれた。
これは完全に交通事故である。
自転車は道路交通法上軽車両に当たるため、対歩行者では自転車の方が責任が重い。
もう、物凄い勢いで謝ってきた。
「すみません!大丈夫ですか!?ケガないっすか!?」
って。
何故か私が謝ってた。
事なかれ主義ここに極まった。
向こうも私の勢いに押され、「いいよ!いいよ!大丈夫!!」って言ってた。
向こうが落としたカバンを拾い、もう一度丁寧に謝罪して、自転車を見送った。
その後、ズボンに付いたタイヤの跡を払い、深呼吸をして、もう一度私は走り始めた。
無論バスに乗るためではない。
だって、考えてもご覧なさいよ。
バスに乗ったとして、その後どのような展開が考えられる?
バスに乗る。
すると先ほどの出来事を具に見ていたマダムたちが、バスに乗りこんできた私を見て、
「見て、あの人。さっき自転車に。」
「よっぽどこのバスに乗りたかったのね」
「何か物凄く謝ってたわよ」
などと井戸端会議よろしく語りだし、果ては車内アナウンスで、
「次は〇〇〜〇〇〜。お客様にお願いです。ご乗車になるための信号無視は大変危険ですのでおやめください(笑)」
などと言われた日には、その場で自分自身の腹をかっ捌くか、乗客乗員全員の首をねじ切るか以外の結果を見ない。
なので、私は更に加速しながら次の角を左に曲がった。
その速さたるや、先ほどのトップスピードを裕に超え、私の体感では、ウサイン=ボルトがゴール前で小躍りしながら流しているときの速度に匹敵していた。
肉体の限界を超え、私にそこまでのスピードを出させた理由は一つである。
一刻も早く、バスに乗る彼らの視界から消え去りたかったんだ。